田七人参とは

田七人参
■ 学  名 Panax notoginseng
■ 別  名 三七人参
■ 基  源 ウコギ科 ニンジン属 多年生草本
■ 産  地 南省文山州-硯山、西疇、広南 広西省-田陽、靖西 他
■ 薬用部位 一般的には「根」のみ使用します。
■ 成  分 サポニン(7%~12%)を含有し、その主成分はジンセノサイドRg1, Rb1,Rg2です。
その他少量のジンセノサイドRa,b2,d,eを含有し、また、ステロ-ル、フラノボイド等が単離。

田七人参の写真

田七人参が金不換と呼ばれる理由

雲南省 広西省

田七人参は、現存する人参属植物の中では、最も原始的なものと推定されています。 中国の著名な植物学者らは「田七人参は第三記古熱帯に遺留された植物で、わずかに雲南省および 広西省にしか分布していない」と指摘しています。
この雲南省と広西省が接している海抜1200~1800メートルの山地で、田七人参は長年の風雪に耐えながら「生きた化石」あるいは「古代の証人」として生きのこってきました。
田七人参ははるか昔から「人間の血液の需要に応じて変化する、摩訶不思議な効能をもった聖薬」として珍重されてきたのです。

ウコギ科人参属の植物の根菜で、7年かけてやっと育つために田七とよばれるようになりました。田七はまたの名を「三七」「田三七」ともいいますが、これは田七が育って収穫できるようになるまでに3~7年かかるところから、そうよばれるようになったという説もありますが、本当は、田七の葉の形態が、茎に葉がついているところが3つで、それぞれに7枚の小葉が手を広げたように出ているところから名付けられたのが真相のようです。

いったん収穫すると、その後、その土地は10年間、雑草も生えないほどにやせ細ってしまうと言われています。土壌の栄養分をことごとく吸い上げてしまった田七人参は、色は黒褐色で、固い石の塊のようにごつごつしていて、朝鮮人参や西洋人参とは似ても似つかぬ形をしている。食しようにも、そのままでは文字通り歯が立ちません。 田七人参はこのように成長するまでが難物で、量産できないために、中国では別名「金不換」つまり「お金に換えられない」と言われているほど貴重なものとされていたのです。

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田七人参の歴史

収穫の写真

田七人参の名称の由来
昔、中国国内の「田七」人参の集散地が広西省の田陽、田東であったことから、その地に縁のある名称とした説と、栽培年数に三年から七年を要することと、葉の茎が三つに分かれて、葉が七枚ある容姿をしていることを三椏七葉ということから、「三七」人参と名づけられた説があります。更に、止血効果が高いことから「漆のように傷口を癒合する」ことから、山漆(サンシツ、サンチと呼ばれていたという説があります。また、お金にも換えがたいほど価値が高いという意味から「金不換」(キンフカン)の異名を持ち、不老長寿の秘薬として珍重されてきました。このように、田七人参は様々な呼ばれ方をされ、その名称の由来から、外形、効能及び高貴薬であったことが伺えます。

田七人参の写真

2億5千万年前
田七・人参・西洋参は、植物学上「古老植物」に類属し、第三紀古熱帯山岳地区に遺留された植物。生きた化石とも言え、中薬のうちでも原始的なものの代表です。
紀元1世紀頃
「人参」として中国初、本格的な医薬書「神農本草経」に「五臓を補う」と記載。(心、肝、肺、腎、脾に作用し、活動を活発化。)
1555年頃
主成分に田七人参が約85%含まれる漢方薬「片仔廣」(ヘンシコウ)が璞山岩の僧侶によって作り出され、打ち身、消炎止痛に使われる。 ※片仔廣:成分の85%が田七人参です。その他の成分は、麝香3%、牛黄5%、蛇胆7%が配合されています。この漢方製剤は、特に急性肝炎、慢性肝炎に有効とされ、“肝臓の特効薬”として高く評価され、類似品も販売されています。 (1911年頃迄「八宝丹」として、1911年以降「片仔廣」として製造・販売。)
16世紀末
薬物書「本草綱目」李時珍:リジチン=1518-1593)に「田七人参(三七)は止血、止痛作用と共に、血液循環障害を改善する。」と記載。
「三七は、血を止め、お血を留めず、腫れを引き、痛みを鎮め、毒を消す」と田七人参の具体的な薬効が記されています。
李時珍によって編纂された[本草項目]に、その優れた薬効が記されてから注目され、田七人参の需要が高まり、自然生息している田七人参が乱獲されるなどの被害が発生したことから、明の時代(1368-1644)末期から、清の時代(1636-1912)初期にかけて、田七人参の栽培化が発展し、今日に至っています。
16世紀末以降
「本草綱目」の発表後、田七人参の需要が高まり、野生田七の採取が増え、明の時代(1368-1644)末期から、清の=代(1636-1912)初期にかけて、人工栽培が始まったと言われています。
1902年
中国雲南省の医師、曲煥章(きょくせきしょう)が、田七人参を主成分にした「雲南白薬」を開発。
1960年代
ベトナム戦争の際、北ベトナム軍に対して消炎解熱効果のある「田七人参」が送られ、成果を上げる。
1979年~
戦略物資として中国政府によって厳しく管理され、輸出禁止とされてきましたが、改革・開放政策に伴い、輸出が解禁され世界中に知られるようになる。
1980年代
日本においても生薬学学会等で、田七人参が盛んに研究されるようになる。
1995年
株式会社アドバンスにて無農薬栽培着手
1998年
無農薬田七人参収穫
2006年
国際有機認証IFOAM取得田七人参収穫
2008年6月
有機JAS認証取得
2009年10月
白井田七。の販売開始
2013年11月
白井田七。茶の販売開始
2016年2月
白井田七。甕の販売開始
2016年4月
白井田七。の臨床プロジェクトを東京農業大にて開始

田七人参の頭数(大きさ)について

田七人参の頭数の写真

田七人参の頭数が小さいほど(大きさが大きい)価値が高い田七人参だ、サポニンが多く入っているだと多くのサイトに記載されています。
でもこれって本当なのでしょうか。
実際、中国で田七人参を栽培している生産者は、必ず田七人参を大きくするために、化学肥料を蒔きます。これは、中国の仕組み上、大きいほど高く市場が買ってくれるからであり、一般的に大きい田七人参ほど価値が高いとされてきました。

でもちょっと待ってください。

この基準は中国での話で、価格と品質が全く伴っていない話で日本では考えられない話なんです。 実際に成分含有量を調べてみると、ある一定のところまで育った田七人参は、それ以降大きくなっても体積あたりの成分含有量はほぼ同じなんです。
その中でも、白井博隆が作っている田七人参のサポニン含有量は、約10%をキープしている品質の極めて高い田七人参なのです。

田七人参と高麗人参の違い

高麗人参の写真

一方で薬用人参といえば、日本では、高麗人参(朝鮮人参)を頭に浮かべる方がほとんどだと思いますが、田七人参も植物学的には高麗人参と同じウコギ科に属しますので親戚ということになります。
しかし、根の形状や効能はずいぶん違います。田七人参と高麗人参を最近の研究から比較しても、田七人参には数々の高麗人参を凌ぐ薬効が認められています。

薬用人参界の王様「田七人参」
本草綱目には、「血を止め、お血を留めず、痛みを鎮め、腫れを消す。」とされ、近年では、様々な薬効効果が次々と報告され、薬用人参の王様と言われています。
実際に成分を比較してみても、高麗人参と田七人参の主な成分である「サポニン」の含有量が3~7倍入っていることがわかります。
サポニン以外にも、田七ケトン、有機ゲルマニウム、フラボン配糖体、アセチレン化合物、デンシチン、植物ステロールなどの機能性成分のほか、食事だけでは摂取しにくいとされるビタミン類、カリウム、鉄分、亜鉛、マグネシウムなど大切なミネラルなどの栄養性成分もバランス良く含まれているため、「高麗人参を凌ぐ田七人参」と今最も話題になっています。

植物状態の写真